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ポケモンバトル(非ガチ)、HR/HM鑑賞、相撲観戦などを趣味とする大学生のブログ。
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昨日はずいぶん無茶振りをしてしまったと、零風さんには申し訳ない気持ちです。

よくよく考えると、このブログ見てくれてる、というか、今までリアル・ネット問わず知り合った人の中で三国志を語れるのが零風さんだけであったのです。マスボ時代にはきおさんとかもいたけどマスボ解体後に話してないし・・・

そもそも、話わかってくれる人が1人だったらさすがにこの話題続けることはまずいですよね。

というわけで、このブログ読んでくれてる人で、三国志ファンである方は、どうかコメントをください。コメントかあまりに少なかったorなかった場合は関連記事をある程度自粛しようと思います。

アクセス解析とかやったほうがいいんでしょうけれど、忍者のアクセス解析がポンコツすぎてお話にならんので、解析できんのです。そこで皆さんの力を借りたいわけです。

fc2とかのアクセス解析をこのブログに貼り付けることってできるんでしょうかね。かなり裏技というか、間の抜けた方法というか、まあ。要は忍者のアクセス解析が役に立たんのでこのブログをどういう人がみてくれてるのか全然わからなくて困ってるということです)

書く側もやはりニーズにこたえなければいけませんしね!

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書くこと無いかなーって予備校の授業中に考えてたら、2350年前からの指令が届きました。
というわけで今日は非常に久しぶり、化石のスーパー☆自己満☆タイム(読者離れの一因)です。

商鞅とは私が扱う中国史の登場人物の中でも珍しく、世界史の用語集に名前が載っている人です。

世界史では、このひとは法家で実際に政治をして大成功を収めた人、みたいな感じで扱われています。

例によって文章力は小学生並みです。
うちを固めた後、荘王は外征に出ます。

6c25ae9a.PNG







上の地図は主要国とだいたいの領土、国際情勢を書いた地図です。かなり大雑把です許してください。

だいたいどんな情勢かといいますと、北の超大国・晋と南の超大国・楚が覇権をあらそっているというところです。
東の斉は50年位前に桓公という名君が現れて、中国史で最高の宰相といわれる管仲を登用し、中華の盟主になりましたが、子供たちが後継争いをしたせいで力はすっかり弱まりました。が、依然としてNo.3の大国です。
西の秦は30年位前に穆公という名君が80前の百里奚という賢者を抜擢して、周囲の異民族を帰順させ、国力を増大させました。No.4の大国です。
晋は隣国の秦と仲が悪く、たびたび戦争をするうちにかなりへばってきています。それでも超大国であるということにかわりはありませんが。

荘王になってから諸侯が楚を離れて晋の盟下に走ったことは先ほども述べました。

今回の遠征では、鄭と陳をおどしつけて、楚の盟下に戻しました。

地図を見てもらえれば分かるとおり、鄭は黄河の中流にあり、とても肥沃な国土であり、また周と隣接することから天下の交通の要衝でもあります。

早い話が、重要な場所だってことです。

なので、晋は宋・衛などの諸侯の軍を集めて、鄭をふたたび晋の盟下に戻すべく、鄭に攻め込みました。

荘王は当然そんなことは予想しているので、蔿賈という注目していた臣を予備隊として5000の兵を率いて鄭の首都に待機させていました。

晋を中心とする連合軍は6~10万くらいだったといいます。

一方鄭の首都にいる鄭軍は多くて3万くらいで、蔿賈の率いる5000人とあわせても到底連合軍に及びません。

晋の連合軍の総大将の趙盾は、よもや打って出てくるとは思っていなかったので、さして警戒もせずに、ゆるゆると軍を進めていました。

蔿賈は優秀な知将です。城にこもってもジリ貧になるだけだと思って、彼は5000の楚兵を引き連れて、連合軍に奇襲をかけました。

奇襲をされて崩れた先鋒の伝令を受けて、趙盾は総退却を命じました。


鄭の君主が病死して、太子があとを継ぎました。この太子は荘王が即位する前に楚に人質として取られていたときがあり(人質というのは、両国の盟約の証として重要人物を相手の国に預けるということ。)荘王とはそのときに仲良くなっています。

荘王は即位のお祝いに、すっぽんを贈りました。が、それがもとで鄭のNo.1の大臣とNo.2の大臣が手を組んで太子を暗殺してしまったのです。

ともかく太子は死に、子堅という人がかわりに鄭公になりました。
荘王に親しい太子を殺してしまったので、鄭の大臣は楚と付き合うのは諦めて、晋をたよりました。

荘王は大変怒り、鄭を攻め、ふたたび楚の盟下に戻し、子越という将(官位は司馬。軍のNO.1)を防衛のために残していきました。

救援にかけつけたものの、もう鄭が降伏したあとだったという晋軍の総大将の趙盾は、「子越の族は強大で、おごっている。のさばらせておけば自滅するだろう」といい引き上げました。

ここで、若敖氏について語らないといけません。若敖というのは楚の何代か前の君主の名前で、その子孫が若敖氏とよばれ、楚王室に並ぶほどの力を有していました。
若敖氏の当主の子良は令尹(No.1の大臣)、子良のいとこの子越は司馬(軍のNo.1。No.2の大臣でもある)であり、権力を握っていました。
荘王はこの勢力が力を持っていると政治がしにくいので力をそごうと、蔿賈に命じて子良の近辺を調べさせ、罪を発見すると誅殺してしまいました。これにより子越が令尹、蔿賈が司馬になったのですが、子越は蔿賈の発言でいとこが殺されたという情報をつかみ、蔿賈を自領に幽閉して殺して、荘王に反旗を翻しました。
若敖氏は目障りであったものの、その力を楚のために使いたいと思っていた荘王は自分の子を人質に差し出すことで子越をなだめようとしましたが、子越は承諾せず、荘王を攻めました。
荘王と子越の戦いは数ヶ月にもおよびましたが、最終的に荘王は若敖氏の勢力を完全に滅ぼしました。

この一連の乱で荘王は蔿賈という知将と子越という猛将を失い、非常に落胆しました。

この内乱の前に、陳という国で乱が起きています。先々代の君主のひ孫である夏徴舒(子南)が陳公を殺し、君主の位に着いたのです。
子南は晋の盟下にはいりました。

荘王は内乱を終結させてから国を落ち着かせた後、陳を攻め滅ぼし、県にしてしまいました。(楚の版図に組み入れたということ)
陳の民からは不満の声が上がり、楚の人臣もやりすぎだと思っていました。ある臣が荘王に諫言しました。
「ある物の田を別の者が牛を引いて通っていき、通ったところの稲は踏み潰されました。その代償として田の所有者は牛をよこせといいましたが、これはやりすぎというものではないでしょうか。」
そこで荘王は後継者を探し出し、陳公のくらいにつけてやり、陳を復興しました。

さて、鄭を楚に奪われた晋が動きました。晋の総大将の士会は晋の歴代最高の宰相といわれる人で、非凡な将でもありました。
士会は鄭を直接攻めて屈服させるのではなく、なんと鄭の領内を素通りして楚に攻撃を仕掛けたのです。
攻撃して邑をひとつ壊滅させて、さっと引き上げました。すると鄭が盟約に加えてほしいといいだしました。
この戦略は、天下をあっといわせるすごいものでした。

こうして鄭を奪われて士会にいっぱい食わされた感のある荘王は、驚くべき行動に出ます。

鄭を再び攻めるのかと思いきや、陸渾の戎を蹴散らして、成周(周の都。現在の洛陽)におしかけていきました。
周王は驚いて、王孫満という人物を荘王のところに派遣しました。

王孫満「参内しに来てくださってありがとうございます。ここから先は軍を置いて少数で来てください。」
荘王「いや、参内に来たわけではない。それより、九鼎の重さはどれくらいのものなのか?」

九鼎というのは、夏王朝、商(殷)王朝、周王朝と引き継がれた鼎のことで、天下の主の証のようなものです。
その重さを問うたということは、「もう周はなにもできないんだから楚に天下の王の称号を譲りなさい」と言ったようなものです。
「鼎の軽重を問う」の語源は荘王なのです。

王孫満「そもそも鼎はその重さが重要なのではなく、それを持つものの『徳』が重要なのです。周が成立したときにこの王朝が何年続くか占わせましたが、まだその年数はたっていません。したがって周はまだ『徳』を失っていません。これは『天命』なのです。」
この答えを聞いた荘王は本国に引き返しました。
昨日の続きです。

荘王が喪に服している間に、新しく即位した楚王(=荘王)は暗愚な王だという評判が広まり、楚の属国も楚の衰退を予感して楚に叛いていきました。

女と酒におぼれた荘王は、足掛け3年の喪が終わっても、まだ遊蕩生活をして、政治を省みませんでした。

さて、さすがにこの現状はまずいということで気概のある伍挙という臣が荘王を諌めに行きました。

宮室へ行くと、荘王は女をはべらせ、酒を飲んでいました。

荘王「諫言しに来たのか。諫言した者は斬るといってあるはずだが。」
伍挙「いいえ。ひとつなぞ解きをしてもらおうと思いまして。」
荘王「ほう。」
伍挙「枝に止まって、三年間も鳴かず、飛ばない鳥が居ました。その鳥が大声で鳴いて飛んだらどうなるでしょうか。」
荘王「おまえの言おうとしていることは分かっている。もうそろそろだな。」

そういって荘王は席を立ち、朝廷にとあるリストを持って現れました。

そして群臣を中央に集まらせて、一人ずつ名前を呼んで、左右の2つの集団に分けました。

片方の集団はいままで悪事を働いてきたものたちであるので、直ちに処刑。

もう片方の集団はいままで善を行ってきた者たちであるので、取り立てる。

つまり、公子燮の反乱で臣下に対して不信感を抱いた荘王は、臣下の善悪を見極めるために3年間も黙っていたのです。

こうして悪い部下を粛清した荘王は、反乱を起こした属国を全て討伐しました。

そうして国内を固めた後、
どうしてもこの人のことは、こっちで書いておきたかったんです許してください。

楚という国は周の成王(文王の孫で武王の息子。つまり2代目の周王)の時代からあったといわれています。

つまり、だいたい紀元前1000年くらいから存在していたことになります。

滅亡するのが秦の天下統一の2年前ですから、紀元前223年です。

驚くべきことに、楚は800年間も続いた国なのです。

その800年間で最高の王といわれる人物が、荘王です。

さて、荘王の父の穆王は、その父・成王に廃嫡(後継者から外されること)されそうな雰囲気だったので、父親を宮室に閉じ込めて餓死させてしまったという恐ろしい人物です。

穆王は成王の「せめて死ぬ前に熊の掌の煮物が食べたい」という最期の願いをも無視するという、本当に非情な人でした。

穆王はそういう人だったので、容易に想像できるように、恐怖政治を行っていました。

それは国外に対してもそうで、従わない国があれば圧倒的兵力で首都まで押しかけていって脅しつけて楚を盟主と仰ぐことを強制しました。

そんな穆王にも死が訪れます。

国王が死ぬと当然、兵士の士気は下がりますし、指揮系統も少なからず混乱が生じます。

このときも鄭、陳といった穆王に虐げられていた国々は楚の盟下を離脱し、北方の大国である晋の盟下になりました。
(当時、周王朝は武力は失っていましたが名目的には中華の王ですので、周を助ける形をとっている晋に従うべきだったのです。楚は野蛮な国であり、周王朝の敵だという見解で統一されていました。)

しかし蔡という国は、周の武王の弟が建てた国であるのに、楚の盟下から離脱しませんでした。

その理由は、まず楚に近く地理的に危険であること。もう一つは穆王の太子(嫡子。つまりのちの荘王)が非常に英明であるという評判を聞いていたからです。

さて、荘王が即位してからすぐに、穆王の弟(=荘王の叔父)の公子燮が王位の奪取をめざし、首都を占領しました。

しかし、他の王族たちは荘王を支持したので、公子燮は荘王を拉致し、他の都市で再起を図ろうとしましたが、その都市でも荘王を支持する人は多く、公子燮は暗殺されて、荘王は首都に戻ります。

その後の荘王は、父の喪に服す(当時はあとを継いだ王は、足掛け3年(≒25ヶ月)喪に服し、その間の政治は宰相(楚における宰相の名称は「令尹」)が執ることになっています)といって、宮室の奥に引きこもり、「私に諫言(主君に忠告をすること)する者が居れば斬る」といって、酒と女におぼれてしまいました。


前編、終わり。
(この記事は、公子燮という名前以外、すべて私の記憶で成り立っています。多少の間違いはあるかもしれませんが大目に見てやってください^^;)
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化石
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自己紹介:
化石というHNの由来
:中2の頃、ポケモンをやっている自分のことを友人が「時代遅れ」という侮蔑の意味をこめて「化石」と呼んでいました。
うまいHNを思いつかなかったので採用(



ポケモンのプレイ時間は999:59です。
そして、個体値の妥協基準は2V性格一致です。
他の個体値は一切気にしないというアバウトな人間です。
だったんですが、最近3Vくらいはほしくなりました(

6月10日午前8時現在、204勝193敗。



スマブラXの対戦回数は通常・ワイファイあわせて1000回超えたくらいです。
いまゲームウォッチが旬です。


6月8日現在、サザエさんに8連勝中
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