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ポケモンバトル(非ガチ)、HR/HM鑑賞、相撲観戦などを趣味とする大学生のブログ。
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なぜ漢文を学ぶときに、わざわざ春秋戦国時代といった大昔のことがたびたび題材となるのか。疑問を感じた方はいらっしゃると思います。

こういうことです。

春秋戦国時代というのは中国の古典であり、彼らの精神の源流はこの時代にあるといえるわけです。どういうことか端的に言うと、孔子は春秋時代の人で、孟子は戦国時代の人であるということですね。つまり、儒教の本を読むとなると、この時代についての理解が前提であり、それゆえに春秋戦国時代というのは中国の歴代王朝で政治を行ってきた人々は必ず知っておかねばならない時代でした。
また、春秋戦国時代と言うのは諸子百家の時代であり、ちょうどこの時期の西洋に目を向けると、ギリシアではピタゴラスやソクラテスが出現しており、自然科学や哲学が発展を遂げた時期でありました。中国でもさまざまな考えを持った人々が各国をかけめぐって活躍した最初で最後の時期でありますから(秦以降は統一国家により思想が規定されていったため)、やはり中国人が生き生きしていた時代と言うのがこの時期でありました。
また、もちろん春秋戦国時代と言うのは数百年にわたって「あの」したたかな中国人が互いに抗争した時期でしたから、この時期を学ぶことで政治・軍事・外交とはどういうものか、といったことがわかってくるでしょう。
以上の点から、漢文で春秋戦国時代が題材にされることが多いのは至極まっとうなことであり、我々はこの時代を学ぶことで中国人の底力を見ることができます。

さて、春秋戦国という時代の概要を見ていきます。

春秋時代というのは、周王朝が都の鎬京を異民族の犬戎に落とされたために都を洛邑に遷したことで始まった時代です。ということは、この時代はまったくの乱世だったのではなく、あくまで周王朝があり、周王朝によって封建された諸侯がいたということです。ただ、周王朝の軍事力は著しく低下していたために書庫上の影響力は弱まっていました。それでもなお、周王朝は唯一の王朝としての権威は保ち続けたために、諸侯は周王朝を尊重する形をとって、覇権を争ったのです。この動きのなかで台頭したのが斉や晋といった国々で、これらの国は諸侯をまとめて国際秩序を作り、中華文明圏を一体化させようとしたわけです。
しかし、やがて諸侯が持っていた権力は諸侯の臣下である卿とよばれる有力大夫のもとに移っていき、ついに超大国であった晋は韓氏、魏氏、趙氏の三人の卿によって滅ぼされ、国土は三つに分割され、それぞれ独立して諸侯となりました。これが戦国時代の始まりです。
こうなってしまうと、実力主義みたいな風潮になって、もう周王朝なんてないがごとく各国が戦いはじめ、ついには勝手に王を称し始めます。こうしたなかで、秦の孝公は商鞅を登用して大改革(変法)を行い、それにより国力を飛躍的に高め、ついに前221年に秦王政が天下を統一します。
この秦王政は、各国の君主が王を自称したことで王という称号の価値が下がってしまったので、新たに皇帝という称号を作り、始皇帝となったわけです。

いかがでしょうか。最後に、言っておきたいことを簡単にまとめます。ただし、今までのようなスケールの大きい話ではないです。

春秋時代で、王とよばれるのは周王だけです。ほかの諸侯は、みんな~公(斉の桓公、晋の文公、のように)と呼ばれます。
(厳密には諸侯の爵位には公・侯・伯・子・男の5つがあり、斉や晋は公爵の国であったため~公とよばれるが、例えば孔子の出身の魯は侯爵だったので~侯とよばれ、鄭という国は伯爵だったので~伯とよばれた)
そして諸侯の下にいたのが大夫であり、彼らはあえていえば貴族のような存在であり、大夫は家を構え、それぞれに部下を持ち、戦時には彼らが兵となって戦うわけです。平時には君主の政治を補佐する、と。
その大夫よりワンランク下なのが士で、かれは大夫のしょぼいバージョンだと思ってもらえればいいですね。一方、特に有力な大夫は卿とよばれ、現代風に言えば、大夫を国会議員とすると、卿は大臣クラスになるわけです。韓氏、魏氏、趙氏は晋の卿でしたよね。

さて、ここで質問が出てくるとしましょう。
「春秋時代には王は周王しかいないといってたけど、それじゃあ春秋五覇の一人に数えられる楚の荘王は、なんで王っていうの?」
いい質問です。といいますか、実は私はこれを開設したかったといっても過言ではありません。予備校の授業で、春秋時代には周王しかいないっていっておきながら、春秋時代の文章で「楚の王が~」みたいなのがでてきても完全スルーだったのは、ちょっと残念だと思ったからです。
まあ、いちいちそんなもん限られた時間内で説明してられないですからね。しかし、私はここで説明しようと思います。(当然私はその時点で、なぜ楚が王を称しているか知ってたわけですが

楚は春秋時代が始まるくらいの頃から急速に勢力を拡大し、長江流域一帯を支配する大国になりました。しかし、楚は周の承認を得ていませんでしたので、楚の君主は周にでかけていって認めてもらって爵位をもらおう、ということで周にいくと、周にもらえた称号は「子爵」でした。(いかに広大な領域を持っているといえども、当時の概念では長江流域というのは中華文明の外にあり、楚はいってみれば野蛮人の国であったので、子爵くらいで妥当だろうとおもったわけです)
しかし、当然楚は不満です。魯のような小国(中規模の国なんですが、いかんせん楚は大国で、それからみると小国でしかなかった)ですら侯爵をもらっているのだから、自分は当然公爵をもらえるはずだと思っていたのに、子爵では下から2番目ではありませんか(上から公侯伯子男)
それなら、俺たちはもう野蛮人でいい、ということで王を自称するわけです。実際のところ、楚は長江文明圏に成立した国であったので、黄河文明圏の周とはもう世界が違うといってよく、楚は黄河文明圏をぜんぶ合わせたのと同じくらいとまで言わずとも対抗しうる力を持っていたので、王という称号はまあ実情にかなった小野ではないか、と考えられます。宮城谷正光さんは、楚は周の一部としてみるべきでなく、黄河文明圏のそとにもう一つの文明圏があり、その文明圏の王が楚であったとみるのが妥当であろうとおっしゃってます。実際、楚の周辺の諸民族は楚に服属していたようですから、実情にかなっていたのでしょう。
一方、周をはじめとする中華文明圏の諸侯は楚が王を自称したことについてどうしたのかというと、まあわれら中華の民じゃない野蛮人の国の楚が勝手に王と名乗ろうと関係ないよ、という感じで、特に問題にはしなかったとか。ここから、楚はほんとうに中国の国家として認められていなかったのだなあ、と言うことがわかります。

そういうわけで、中国の歴史書で春秋時代に楚が王を名乗っていても、それは本文が間違っているとかいうことは決してないのです。

ついに文明の話にまでなってきましたね(スケールの大きな話にはならないと言っておきながら)。楚は中華に対して大変なあこがれ(コンプレックス)をもっていたようで、強大な軍事力をもって中華諸国を圧倒しようとしたのですが、斉や晋といった国が諸侯をまとめたため、ついに長江流域で大勢力を持つにとどまることになったわけです。

この楚という国は実は民族系統が不明で、いまの中国の南の方(ベトナムとかミャンマーとかの国境付近)にいる少数民族が実は楚を建ててたんじゃないかとか、おもしろい想像がなされています。いやーおもしろいですね。私は、死ぬまでに長江文明がちゃんとわかってくればいいなあと思っています。
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:中2の頃、ポケモンをやっている自分のことを友人が「時代遅れ」という侮蔑の意味をこめて「化石」と呼んでいました。
うまいHNを思いつかなかったので採用(



ポケモンのプレイ時間は999:59です。
そして、個体値の妥協基準は2V性格一致です。
他の個体値は一切気にしないというアバウトな人間です。
だったんですが、最近3Vくらいはほしくなりました(

6月10日午前8時現在、204勝193敗。



スマブラXの対戦回数は通常・ワイファイあわせて1000回超えたくらいです。
いまゲームウォッチが旬です。


6月8日現在、サザエさんに8連勝中
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